「おいしさ」を決めるのは、その食べ物を取り巻くすべてのことがらによるようです。
飲食店ビジネスでは、おいしいものを提供することが大切です。しかし「おいしさ」は人によって感じ方が違います。高級な食材を使っている料理、つくる人の手間がかかっている料理、美しく盛りつけられている料理…ということだけではないようです。そこにいる人びとや土地の深いところに根ざすもののようです。
『イギリスはおいしい』という本があります。リンボウ先生こと林望先生の本です。「おいしい」というタイトルはイギリス料理がおいしくないということが前提になっています。そこでリンボウ先生がイギリス各地を実際に訪ね歩いて、イギリス料理のおいしさについて楽しく語っています。
ある日、友人の家で家族と夕食をともにします。当家の夫人といっしょに台所に立ち、手伝い、夫人が料理するところを逐一観察したリンボウ先生のコメントが以下です。
この夜、ストレンジ家で五人のイギリス人と一人の日本人が囲んだ食卓のひとときは、愉快に気持ち良く過ぎていった。穏やかな、しかもユーモラスな会話と、いつも他人を思いやる謙譲の心と、控えめな善意に彩どられていたからである。
たしかに、ホワイトソースは粉ぽかったし、ローストベーコンは塩辛いばかりで、茹ですぎた野菜には特に掬(きく)すべき味もなかったが、それでもなお、イギリスの食卓には、私たちの国ではもうとうの昔に失われてしまった、なにか美しい「あじわい」が残っているのであった。
この本の最後の一節です。リンボウ先生の「おいしさ」の結論はここですね。「おいしさ」とは食ベ物とそれを食べる人間のたんなる化学反応ではなく、食べ物のまわりにあるすべてのことなのだと思います。短く言うと文化かもしれませんが、その一言では表現できそうもありません。もっと深いところにある人びとの生活すべてのようです。
<参考文献>
林 望『イギリスはおいしい』文春文庫 1995