「卵は一つのカゴに盛るな」。投資に関する格言としても使われています。『トム・ソーヤーの冒険』などで有名なマーク・トウェインの名言のなかのひとつのようです。
   
 卵を一つのカゴに入れて落としたら全部割れてしまう。よく見はっておかないとあぶないよ。ということです。確かにリスクは回避すべきです。
    
 駅前の飲食店街をながめるといつもこの格言を思い出してしまいます。ラーメン店→焼き肉屋→カレー屋→外食チェーン店→ラーメン店…。このくりかえしです。大丈夫ですかね。同じ業態ばかりでは危ないと思います。

●同じカゴの卵はすべて割れた。アイルランドの悲劇

 1845年のアイルランドは大変でした。ジャガイモに「胴枯れ病」が発生。すぐに全土に広まってしまいました。この病気は葉や茎に黒い斑点ができ、イモが固くしなびて腐ってしまう病気です。

 まもなく飢饉が始まりました。貧しい人たちの主食がジャガイモだったからです。次に蒔くための種イモまで食べることにもなり大飢饉となりました。
  
 この現象は約5年間続き、1841年に約818万人だった人口は、飢饉が終わった1851年には約655万人まで減少してしまいました。150万人以上も減少したことになります。飢餓と栄養不足からくる病死だけではなく、アメリカをはじめ各国への移民による減少もありました。ジョン・F・ケネディ大統領やハンバーガーのマクドナルドの創始者マクドナルド兄弟もこのときの移民の子孫です。
    
 主な原因は収穫量が多いアイリッシュ・ランパー種のジャガイモばかりを栽培していたからです。同じ品種であったために胴枯れ病はたちまち拡大してしまったのです。
    
 大きな災害になってしまったのは当時のイギリス政府の「自由放任主義」政策もあったと言われています。「自分たちでなんとかしなさい」ということですね。ここでひどい目にあったアイルランドの人びとは、やがてイギリスからの独立へと向かっていきました。
     
 アイルランドのジャガイモ飢饉は歴史上の大事件として世界の人びとに記憶されることになりました。ひとつのジャガイモの品種に集中することで飢饉という悲劇が生まれたのです。まさに「卵はひとつのカゴに盛るな」。危険なことは避けなければいけません。

●同じカゴの卵はすべて割れた。牛丼店が牛丼をやめた

 ひとつに集中したことによる事件は最近の日本にもありました。飲食店ビジネスでした。20世紀末ごろに英国からはじまったBSE(牛海綿状脳症)騒動。2003年にアメリカでBSEに感染した牛が発見され、牛肉の輸入がストップしました。
   
 特に困ったのは牛丼チェーン店でした。アメリカの牛肉がなければビジネスになりません。各牛丼チェーンはオーストラリア産の牛肉に切り替えるなどして対応しました。ところが牛丼の吉野家だけは牛丼の販売を中止する決断をしました。
    
 アメリカ産のショートプレートと呼ばれる牛肉の部位がなければ「うちの味が出ないからです。(中略)うちのヘビーユーザーのお客さまにとって、非常に腹が立つことだと思います。」(『吉野家で経済入門』P86)と考えたのです。
 短期で終わると思われたアメリカ産牛肉の輸入禁止措置は2006年7月まで続きました。吉野家はなんと約2年半にわたって牛丼を販売しませんでした。この間、豚丼や焼鶏丼などのメニューでしのぎ続けました。「卵はひとつのカゴに盛るな」という格言が示す危機が起きたのです。

●ニッチというカゴの卵は割れてしまうこともある

 「卵は一つのカゴに盛るな」。吉野家のケースはどう考えればいいのでしょうか。牛丼店としてリスクに備えて別メニューを用意しておくべきだったのでしょうか。私はそう思いません。当時の吉野家の判断は正しかったと思います。
    
 ニッチな飲食店をすすめる私です。またかつて吉野家さんの仕事のお手伝いをしていたこともあり、この経緯についてはよく知っています。
   
 私の考えですが、1990年代まで吉野家はニッチな飲食店チェーンだったと思います。商品は築地市場の吉野家を事業化した社長松田瑞穂氏(1921~1998年)が改善を重ねてつくりあげた牛丼でした。ほかの店ではつくれない極めて特徴的な商品、つまりニッチな商品でした。
    
 ニッチとは独自地位です。なん度も言いますが、すき間ではありません。この独自の商品とともに24時間営業などさまざまな工夫を重ねてチェーン店化しました。追随できる外食チェーン店はありませんでした。
   
 ニッチという立場に立った以上、卵が全部割れてしまうことから避けられません。そこから逃げなかったということです。大変な勇気だったと思います。
   
 吉野家は2006年9月、まさしく満を持して牛丼の販売を再開。牛丼復活の日でした。お店の前にはこの日を待ち望んだ吉野家ファンが列をつくりました。「会社が潰れそうなのに、やせ我慢をして味を守ろうとした」(『吉野家で経済入門』P89)ことでブランドの価値は高まりました。
  
 しかし大事件でした。このことにまったく対策がないのかというとそうでもありません。製造業などのグローバル・ニッチ・トップ戦略では、このようなケースに備えて複数のニッチ事業をもつべきだとしてます。飲食店ビジネスでも、この考え方が実現できるならリスク回避になるはずです。

●ひるんではいけない。世界に誇る日本の飲食店ビジネス

 さて、冒頭でお話しした件です。ラーメン、焼き肉、カレー、外食チェーン店…。横並びのビジネスの連続です。心配です。これからの日本を牽引して欲しい世界に誇る日本の飲食店ビジネスです。
    
 吉野家を見習って、ニッチ、つまり独自の地位を目指した飲食店ビジネスをすべきではないでしょうか。卵が割れることにひるんではいけません。
   
 「日本でたったひとつのタマゴ飲食店は?」……う~ん、もう少し考えましょうか。

ラーメン激戦区・東京カレーカルテット・吉野家
ラーメン激戦区 東京(丸の内)・東京カレーカルテット(八重洲)・吉野家

<参考文献>
海老島均、山下理恵子『アイルランドを知るための70章』明石書店 2019
ブライアン・フェイガン/東郷えりか、桃井緑美子『歴史を変えた気候大変動』河出書房新社 2009
伊藤元重、安部修仁『吉野家で経済入門』日本経済新聞出版社 2016