飲食店から食欲を満足させるという機能をなくしたら、どうなるのでしょうか。ビジネスとして終わってしまうのでしょうか。そうではありません。アートへの道があると思います。作家や芸術家などのアーティストが活躍する場になるかもしれません。すでに、その気配はみえています。
●完全食。食べる活動からの脱出
完全食という考え方があります。イギリスのソイレント社(Soylent)が完全食を提供しています。日本でも(株)コンプが「ヒトの健康に欠かせない必須栄養素を理想的に配合した、完全バランス栄養食」を販売しています。
ビジネスで忙しく食事の時間が惜しい人などの需要があるようです。シリコンバレーでもよく売れていると聞いています。日本でも忙しいサラリーマンが牛丼屋に駆け込むこともありますね。おいしくて満足感があれば、完全食の利用も増えるかもしれません。
食事をする時間、準備の時間などには多くの時間がかかります。その時間をもっと優先順位の高いものに使いたいこともあるでしょう。大好きなゲーム、スポーツ観戦、え?仕事ですか…。やる気ありますね。
低価格で時間のかからない、栄養価があるということなら、完全食ですます人もでてくると思います。普及は意外と早いかもしれません。それは飲食店が「食欲を満足させる場所である」ということから解放されることでもあります。
●絵画は写真の出現で現代アートがはじまった
また話が変わりますが、絵画の歴史です。
19世紀まで、画家は風景や人物を写して描いていました。1839年、タゲレオタイプという写真技術が登場しました。ここから状況が変わりました。カメラで写せば現実世界は見たままに描写されます。画家が技術を駆使して見たものを写しとる必要はなくなりました。
カメラの普及で画家たちは多くの仕事を失いました。しかし、一方で写実という苦行からも解放されたのです。画家たちはこれまでにない新しい表現をはじめました。
はなやかな色彩と粗いタッチの印象派。そう思っていてもみんな言わないヘンテコリンな絵のキュビズム。マルセル・デュシャンは便器を横にして作品「泉」としました。どうして芸術なのか解説してもらわないとわかりません。このごろはバンクシーですね。
現代アートは新しい世界を見せてくれます。手で写すという作業がなくなって新しいことが始まったのです。
●現代アートとしての食事
完全食があるのなら食事にも新しい道ができます。食事には食欲を満足させる以外に、会食という役割もあります。これは大切です。親しい仲間との食事は楽しみですね。晩さん会のような儀式もあります。「こんどメシ行こうよ」と嫌いな上司の思惑つきの食事会もあります。
会食を食事の大きな機能として考えると、絵画が現代アートへと変わったように、食事も新たなアートに向かうはずです。
海外では、飲食店がすでにアート化しているようです。
アーティストでイーティング・デザイナーのマライエ・フォーゲルサングさんの作品。テーブルの天井から白い布をたらし、会食者はそこから首だけ出します。そして互いに出てきた料理を提供しあいます。たとえば、片方にメロン、反対側に生ハムを提供すると自然に交換しあって「メロンの生ハム添え」を食べることになります。
「あなたが食べさせてくれたメロン、おいしかったわ」「いや、君が食べさせてくれた生ハムは最高だったよ」ということになるのでしょうか。会食が新しい姿になりますね。食欲を満たすだけではなく、食べることの意味を体験で感じるということのようです。
●50万人の芸術家とコラボするニッチな飲食店の可能性
ところで、日本にどのくらいの芸術家がいるかご存じでしょうか。国勢調査では著述家、美術家、音楽家などが約48万人と報告されています。総就業者数は約5,890万人。となると国民の1%近くは芸術家です。しかも、その芸術家の50%以上が東京都と近郊の県に住んでいます。
こんなに多くの芸術家がいるのなら、食事の世界にもっとアーティストが入ってきていいと思います。
考えてみるとスープ、メイン、デザートなど料理のコースはただの順番です。お店の都合でもあります。作家や脚本家がストーリーをつくるコース料理はどうでしょうか。演出家による料理の提供イベントがあっても楽しそうです。アーティストが提供する料理ならワクワク、ドキドキする体験ができます。
これから先も飲食店で食欲を満足させる機能は重要です。しかし、食欲満足機能の価値は少しづつ下がっていきます。一般的には、十分な栄養とカロリーを、容易に得られているからです。
食べる場所という機能から解放された飲食店が次のステージとしてアートを選ぶ。ニッチな飲食店として考えていいはずです。
<参考文献>
Travel Book https://www.travelbook.co.jp/topic/2200
チャールズ・スペンス著 長谷川 圭訳『「おいしさ」の錯覚』角川書店 2018
AXIS WEB MAGAZINE https://www.axismag.jp/posts/2014/04/45109.html
2022年6月1日 掲載 2024年6月11日改稿