ここでは8つのカテゴリーのうち成長ニッチ飲食店の事例についてレポートします。カテゴリーの区分けは別ページを参照してください。またカテゴリーの市場と顧客分析は予測概論を参照してください。
●日本のハンバーガー市場の7割以上はマクドナルド
世界中どこでも食べられるハンバーガー。ファストフードのビッグビジネスです。日本のハンバーガー市場は7,000億円以上。回転ずし市場とならぶ最大級の市場規模です。
このなかで日本のマクドナルドの販売額は5,710億円、市場シェアは約78%となっています(外食産業マーケティング便覧2020)。ほぼ独占です。
マクドナルドの店舗は全世界で約40,000店舗、日本でも約3,000店舗があります。牛肉を食べないヒンズー教徒の多いインドでも200店舗以上あります。
この世界的な食べ物ハンバーガーもはじまりはニッチな郷土料理からでした。
●ハンブルクからやってきたドイツの移民
ハンバーガー誕生の歴史は200年以上前のヨーロッパ、アメリカにまでさかのぼります。背景には19世紀後半からのアメリカ社会の急速な工業化があります。工業化が進むと工場で働く人たちがたくさん必要になります。ここでヨーロッパからの移民たちが働くことになりました。
1840年代後半、アイルランドでは餓死者100万人ともいわれるジャガイモの病気による飢饉が発生。これを機会にアメリカへの移民が増加しました。J・F・ケネディ大統領もこの時期に移民したアイルランド系の子孫でしたね。
同じころドイツからの移民も増加しました。19世紀半ばのヨーロッパは、ナポレオンが暴れまわった後始末、ジャガイモ飢饉、1848年革命(2月革命)などで大きく揺れていました。この騒ぎで政治的亡命者と農民が移民となってアメリカにやってきました。
19世紀半ばから20世紀前半にかけて、約1,000万人のドイツ人がハンブルク港などからアメリカへと渡りました。このとき、ドイツの郷土料理フリカデル(Frikadelleひき肉のミートボール)もアメリカにやってきました。
●ひき肉器の普及からハンバーグ・ステーキが誕生
ハンバーグという名前はドイツの都市ハンブルクに由来するようです。ハンバーガーが誕生するまでには、もう少し物語があります。
1870年ごろから肉をミンチにするひき肉器が普及しはじめたのです。これでドイツの郷土料理、フリカデルはハンバーク・ステーキとなりました。
1876年のフィラデルフィア万国博覧会でドイツ料理店がだしたハンバーグ・ステーキは大変な評判となり、このメニューが全米にひろがりました。いまで言うなら「全米が涙した」ですね。
ハンバーグ・ステーキは切り落とした肉などをミンチにして使うことから、安価でつくることができます。お店としてメリットです。お客さんにも手軽な価格の食事としてありがたいメニューでもありました。
●ハンバーグ・ステーキ・サンドイッチから誕生
ハンバーガーの誕生は19世紀末ごろ。ハンバーグをパンにはさんだものをハンバーグ・ステーキ・サンドイッチと呼んでいたようです。
1893年ごろにネヴァダ州の「イヴニング・ガゼット」紙や「シカゴ・トリビューン」紙がハンバーグ・ステーキ・サンドイッチの評判を記事にしています。その後、1904年に開催されたセントルイス万国博覧会で、これが人気となり、以降アメリカ社会に「ハンバーガー」として定着していったようです。
アメリカでは急速な工業化で工場で働く人びとのためにも、夜中でも手軽に食事をすることが必要になりました。幌馬車を起源とするレストランのダイナーが生まれたのもこのころです。「ハンバーガー」は、この時代の要求にこたえる食事のひとつとしてが生まれたということです。
●新しいアイデアの連続で世界に飛躍
ハンバーガー・チェーンというと「マクドナルド」です。しかし、マクドナルドからはじまったわけではありません。
アメリカのハンバーガー・チェーンの歴史は1921年からはじまっています。最初のチェーン店は「ホワイト・キャッスル」。小さな四角形のハンバーガー「スライダー」で有名になりました。ハンバーガーチェーン店の元祖として認定されているようです。
しかもホワイト・キャッスルは、現在でもアメリカ13州で377店舗を展開していて健在。2021年には100歳の誕生日を迎えました。すごいですね。
「マクドナルド」が誕生したのは1940年。それまでのハンバーガー・ショップは市街地での出店が中心でした。しかし、「マクドナルド」はクルマ社会の進展にあわせて郊外に出店。また、商品数を絞り込み、使い捨ての紙カップやプラスチックトレーを導入。カウンターで注文するセルフスタイルやドライブスルー方式などをつぎつぎに採用して効率化を図りました。
●伝説の営業マン、レイ・クロックのビッグビジネス
1960年、ここでマクドナルド兄弟のハンバーガーにほれ込んだ、伝説のビジネスマン、レイ・クロックが参加。ハンバーガー・ショップを本格的にフランチャイズビジネスとして展開しました。最終的にはマクドナルド兄弟からすべての権利を買い取り、世界的なビッグズビジネスにしました。
レイ・クロックの活躍ぶりは自伝『成功はゴミ箱のなかに』に書かれています。「ライバルが溺れかかっていたら、そいつの口に注水ホースをねじこんでやるね」というレイ・クロックの言葉は、彼の心意気を示す言葉としても有名です。この本はのちに映画にもなりました。もう随分前に亡くなられていますが、いまごろ閻魔さまに叱られていないか心配です。
ビッグビジネスになるポイントは店舗でした。店用の土地を本部(フランチャイザー)が買い、事業者(フランチャイジー)に貸すという仕組みです。これでハンバーガーの売上げによるフランチャイズ権料とは別に、賃貸料の収入が入るようになりました。これが世界的なビジネスになっていくきっかけでした。
●成長のためには新しいメニュー、新しい仕組み
その後、「マクドナルド」はビックマック、エッグマフィン、フィレオフィッシュ、ホットアップルパイなどの新メニューを続々と投入しています。またフランチャイズのノウハウに磨きをかけ、店舗の運営システムなども改善を続けたことでファストフード業界の代表的な企業になりました。
世界的なビジネスになった要因のひとつはレイ・クロックがつくった仕組みでした。しかし、その後の成長は新しいメニューや効率的なオペレーションなど、次つぎと新しいアイデアを投入していった結果でした。
ニッチな郷土料理がめぐりめぐってハンバーガー・ショップになりました。その後に大きな成長をするためにはただのハンバーガーだけではなく、新しいメニューやアイデアが必要でした。とくに、新しいメニューは飲食店がいつも頭の真ん中に置いておくべき永久のテーマだと思います。
<参考文献>
『外食産業マーケティング便覧2020』富士経済 2020
ジョシュ・オザースキー/市川恵里訳『ハンバーガーの世紀』河出書房新社 2010
レイ・クロック/野地秩嘉訳『成功はゴミ箱のなかに』プレジデント社 2010
鈴木 透『食の実験場アメリカ』中公新書 2019
紀平栄作編『アメリカ史』山川出版社 2019
アンドルー・F・スミス『ハンバーガーの歴史』P‐Vine Books 2011
※このページは2020年4月9日のブログを改稿して作成しています