1.「ごはん屋」がありません
うどん屋、そば屋、パン屋、スパゲッティ屋…。主食系の飲食店があります。でも日本国の一丁目一番地「ごはん屋」がありません。
主食とは主に炭水化物。米、麦、そば、いも、とうもろこしなど世界中の人が毎日のように食べるものです。令和の米騒動であらためて主食の米について考えた人も多いはずです。
その米を看板にした「ごはん屋」という店が意外にもないことに気がつきました。

2.本当に「ごはん屋」がないのか?
でも探してみると…近い店はあります。おにぎり屋です。最近人気です。ごはんをメインにして梅干し、塩鮭、明太子などの具を入れる。お米好きの日本人らしい食事です。
ごはんを握って三角にして、丸でもいいですが、具を入れてのりを巻く。でもこれだと「ごはん屋」のイメージとは少し違う気がします。
定食屋もあります。ごはんとしょうが焼き、鯖塩焼き、唐揚げ…。ごはん中心ですが、残念ながら「ごはんだけ」という注文はできません。「ごはん屋」とは違います。
ほかに玄米食の専門店、土鍋炊きごはんの専門店、たまごかけごはんの専門店などもあります。私の専門、「ニッチな飲食店」です。しかし、ごはん専門という飲食店ではありません。
ならば、全国のおいしいブランド米を炊きたてで提供する「ごはん屋」はどうでしょうか。ユニーク。しかし、それだけではお客さまに来てもらえそうもありません。
「差別化のひとつ」でしかないからです。ほとんどの飲食店ビジネスが白いごはんを提供しています。「ごはん屋」専門店は小さな差別化でしかありません。
ということで「ごはん屋」構想は思慮不足。是非の「非」です。「ごはん屋」はビジネスになりません。

3.白いごはんを売る「ごはん屋」は存在した
ところが歴史を掘りおこしてみると「ごはん」だけ売ったレストランの話が出てきます。
昭和初期の大恐慌のころ。阪急百貨店の食堂でライスのみを売っていました。以下『わが小林一三 清く正しく美しく』(阪田寛夫)からの引用です。
…阪急百貨店で、五銭の「ソースライス」あるいは「福神漬けライス」が、二十銭のライスカレーとともに有名になった。ソースライスとは、自分で卓上のウスターソースをかけて食べる白い御飯という意味だ。(中略)
不景気の底のような時代で、他の百貨店には「ライスだけの註文お断り」の貼紙が出ていた。真偽はわからないが、一三は昭和四年の開店に当って、「ライスだけのお客様を歓迎します」と書いて貼り出させたという。(『わが小林一三 清く正しく美しく』P234・P235)
小林一三は阪急電鉄や宝塚歌劇団などの創始者。そのほか宅地開発から映画産業まで手掛けた実業家でした。小林の事業は現在、阪急阪神ホールディングスとして関西を代表する企業グループになっています。
世界中が恐慌で苦しんでいた時。阪急百貨店の食堂では、ごはんだけの注文ができ、さらにテーブルのソースだけでなく福神漬けまでサービスしました。人びとにとってありがたかったはずです。
白いごはんを売ってビジネスにしたということではありません。実業家として有能な小林一三はサービスによって阪急グループの名声を高めたのです。
100年前のような大不況がこないかぎり「ごはん屋」はできません。むしろ「ごはん屋」ができないことを祈るほうがよさそうです。
4.ちょっと待った!まだ残っている
「ごはん屋」構想がないことはわかりました。しかし世界の主食をテーマにした「ニッチな飲食店」ならまだ構想できそうです。
世界の国ぐにの主食は米や小麦だけでなく、下表のようにとうもろこし、いも類、豆類、雑穀などまだたくさんあります。
食材のキャッサバやヤムイモなどは日本ではまだ知られていません。食べ方としてのフウフウ、ウガリ、インジェラなども日本では珍しく、まだ専門飲食店はありません。
新しい主食のはじまりを考えてみましょう。明治のはじめ「銀座木村屋」は、なじみのなかったパンにあんを包んで、あんぱんの元祖の店となりました。スパゲッティの飲食店ができはじめたのは1950年代。米の麺フォーが人気になったのは1990年代でした。いまや国内に4,000~5,000店あるとされるインドカレー店もナンがなければ商売になりません。
新しい主食の飲食店は大きく発展する可能性があります。「ビッグチャンスがありそうです」。別の機会にこれらの飲食店ビジネス構想について考えてみたいと思います。
「またホラ吹き予測」などと言わないでください。今度は必ずアタリそうな気がします。次号をお待ちください。

<参考文献>
阪田寛夫『わが小林一三 清く正しく美しく』河出書房新社 2022
素朴社編『世界の食べもの 地図絵本』素朴社 2005
