レトロがブームです。みなさん大正や昭和の懐かしい世界を楽しんでいます。飲食店ビジネスでもレトロが人気です。しかしいつまでも同じようなレトロでは発展がありません。社会学者ジグムント・バウマンの「レトロピア」という考え方ならレトロ飲食店の新しいアイデアが出てきそうです。

●高齢者はレトロが大切。でもレトロは若い人も好き

 レトロ飲食店が人気です。古民家レストラン、昭和の純喫茶、新宿の思い出横丁などたくさんのレトロ飲食店があります。ときには行列もできます。
     
 レトロ。語源はフランス語のレトロ(retro復古調・懐古的)ですね。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界です。なつかしさで鼻水がグズっと出てきそうです。
     
 レトロは心理学で理解できると以前お話ししました。以下、かんたんに解説です。
 心理学者のエリク・H・エリクソンによると、人には乳児期から高齢期まで8つの発達段階があるとしています。最後の高齢期の課題は「自己統合」。「これまでの辛かった事がいまの自分をつくったんだ」という過去との折り合い=統合が必要になってきます。これがないと「絶望」してしまうからです。
     
 そのために人は思い出という記憶を少しずつ、自分の都合のいいように書き換えています。これで過去をいい思い出にすることができます。なんとなく身に覚えがあります。そして「昔はよかった」言えるようになります。
     
 高齢の夫婦が若いころにデートした場所にもう一度行ってみることにもなります。「昔ここに来たねぇ」「あら、私は来てませんけど。他のひとじゃないの?」「え?アレ…その…。あ、トンボだ」。
     
 しかしレトロが好きなのは高齢者ばかりではありません。平成生まれの若いひとたちもです。心理学では説明できません。違う考え方が必要です。

レトロ飲食店。古民家、純喫茶、新宿思い出横丁
エリク・H・エリクソンの発達段階
●ジグムント・バウマンの「レトロピア」。4つの考え方

 社会学者のジグムント・バウマンは『退行の時代を生きる』で「レトロピア」を説明しています。明るい未来の理想社会ユートピアに対して、過去にそれを求めるのがレトロピアです。
    
 バウマンはレトロを4つにわけています。「ホッブズへの回帰?」「同族主義への回帰」「不平等への回帰」「子宮への回帰」です。ちょっと難しい内容なので、訳者の解説と私の早トチリ的解釈で説明します。
    
①ホッブズへの回帰?
 ホッブズは17世紀の哲学者。寝ていて覚えていませんが高校で習ったようです。「人は放っておくと互いに戦うことになる」と考え、「万人の万人に対する戦争」を唱えました。だから国王のような強い権力で人びとをまとめる必要があるとしました。
     
 しかし現代に王様はいません。つまり現代の人びとはなくなってしまった強い権力に関心を寄せているということのようです。
   
②同族主義への回帰
 「自分たち」以外を「よそ者」とし、敵対視することで「自分たち」でまとまろうとすることです。現在のヨーロッパやアメリカなどの移民や難民などの状況をみるとわかりやすいですね。移民や難民の受け入れに反対する人も多くいます。
   
 ここでは同族主義としていますが民族主義とかナショナリズムという言葉もあります。ひと昔前の日本の姿に回帰する場合です。同じ仲間であれば安心できるということです。
   
③不平等への回帰
 社会が分断されようとしています。新自由主義などにより貧富の差が拡大したからです。しかし貧困は救済されません。新自由主義は自己責任とも言います。分断によって遠い過去にあった大多数が貧しかった不平等の時代に回帰していると言っています。
    
④子宮への回帰
 一人ひとりが自分の世界に閉じこもる現象が増えています。資本主義が進み家族は小さくなり、ひとり住まいが増えています。多くの人が電車でスマホを握って自分の世界だけで楽しんでいます。
    
 ネット情報は自分の求めるものしか出てきません。フィルターバブルです。社会への不安によって閉ざされた自己に退行し、回帰に向かっているようです。
    
 お気楽で楽観的な私でも、近い将来に理想のユートピアが来る気がしません。気候変動や地震災害、意味なき戦争。未来のユートピアではなく、過去にユートピアを求める「レトロピア」なら心が休まります。過去は安定していて変化しないからです。

●4つの新レトロ理論飲食店。戦国・王朝・となり組・子守歌

 これから先もレトロブームです。大正や昭和でマンネリになりそうなレトロについて、ジグムント・バウマンの考えをヒントに「レトロピアレストラン」を考えてみました。
    
①<ホッブズへの回帰?>…店長が怖い戦国食堂。「織田信長のレストラン」
 ホッブズの言う国家が強かった時代への回帰です。強い人なら戦国最強の武将、織田信長でしょう。強さの後ろに怖い性格もありますね。
    
 店は城のようなつくりのレストランです。スタッフは甲冑などの戦国衣装です。お客さまがくると信長役の店長が登場します…

信長 「なにものじゃ。どこからまいった?」
客  「山梨県…いや甲斐の国です」
信長 「なに、武田か!」。こめかみに筋をたてながらも「ようまいった。そこに座れ。なにがのぞみじゃ」。
客  「た、た、鯛の焼き魚定食を」
信長 「光秀!おるか。鯛じゃ!鯛!こんどしくじったら打ち首じゃぞ」

 中心価値は「強さ」です。強さをあらわすキャラクターづくりが大切です。食事のおいしさは2番目。ターゲットは強い権力にあこがれる人です。

②<同族主義への回帰>…平安の王朝食堂「紫式部のレストラン」
 もっとも日本らしい時代といえば平安時代でしょう。遣唐使が終わり、唐の影響が少なくなった国風文化の時代でした。紫式部の「源氏物語」、清少納言の「枕草子」などの文学が発展しました。
    
 このレストランの構えは寝殿造り。ちょっと高級です。それもそのはず十二単(じゅうにひとえ)の女性たちがサービスしてくれます。動きにくいのですが、そのぶん優雅なサービスになります。
    
 コミュニケーション戦略は交換日記キャンペーンです。紫式部役の店長、以下清少納言、和泉式部や紀貫之などのスタッフが交換日記をしてくれます。ただし「ひらがな」のみでお願いしています。
   
 メニューもひらがなで書かれています。お客さまがメニューをみて…

客    「あのぉ…この【てんじくのからしるかけがゆ】ってなんですか?」
紫式部 「インドカレーじゃ」

 カレーといえども平安王朝スタイルで膳にのった朱塗りの椀で提供されます。「織田信長のレストラン」も「紫式部のレストラン」も時代の様式美にこだわりたいですね。外国人観光客にも人気になると思います。
   
③<不平等の時代>…となり組食堂「共食の200円レストラン」
 貧しさという点では戦中戦後です。ご近所での助け合いが必要でした。「となり組」という言葉もありました。
   
 私は山梨県の富士吉田市出身です。地元の名物はうどん。サービス形態が独特で自宅を開放して店にしています。たたみの部屋に通されて座卓で食べます。親戚の家で食べるようなものです。この方式が使えそうです。 
     
 自宅の食卓に人を招く店です。店の主人が食事をつくり、招かれた人といっしょに食べます。家でママ友ランチをするようなものですね。
    
 実費程度の費用をいただきます。食事をつくるなら二人でも三人でもそれほど手間は変わりません。提供するメニューはネギとアゲがはいったうどん。200円ぐらいでできそうです。
   
 招待する人(ターゲット)は同じような境遇の人です。近所の人でも友人でもネットで知り合った人でもいいと思います。
   
 ねらいは心の健康です。「ひとり化社会」になっています。高齢者も若い人もひとり住まいです。ひとりの食事は健康によくありません。いっしょに食べるなら貧しさも少し楽しくなりそうです。
    
④<子宮への回帰>…子守歌食堂「聖母のレストラン」
 山奥の修道院のようにひっそりとした場所にあります。黒い衣装に身を包んだ寡黙な中高年の女性がサービスしてくれます。
    
 入口から暗い廊下をとおって個室に入ります。個室には小さなステンドグラスの窓があり、そこから光がもれてきます。
    
 ひとりの世界でゆっくり食事します。孤独を感じなくていいように聖母が見守ってくれます。メニューはマメのスープ、キュウリとヨーグルトのサラダ、店で焼いたライ麦パン、ソーセージとチーズ。それに少しのワインです。質素ですが体によさそうなものばかりです。
    
 食事が終わると静かな子守歌のような音楽が流れてきます。20分ぐらいの仮眠ができます。時間になると、そっと起こしてくれます。
    
 ターゲットは市場経済の荒波を頭からザブザブとかぶる人たちです。ときには膝をかかえて、だれかに見守られて休む時間が必要な人たちです。

●まとめとして。新しい試みで切り開く

 不満や不安が日ごとに広がるような社会ならば、レトロ飲食店はさらに増えるかもしれません。しかし一律に大正、昭和のレトロということではうまくいきません。「レトロピア」とい視点をもつことで、新しいレトロの方法論を見出すことができそうです。

<参考文献>
佐藤眞一/権藤恭之『よくわかる高齢者心理学』ミネルヴァ書房 2016
ジグムント・バウマン/伊藤茂訳『退行の時代を生きる-人びとはなぜレトロピアに魅せられるのか』青土社 2018
ペーター・ゼーヴァルト編・ガブリエラ・ヘルペル/島田道子訳『修道院の食卓-心と体においしい秘伝レシピ52』創元社 2010