「今日の異端者は明日の救世主かもしれない」
『答えのない世界を生きる』という本のカバー見返しの一言に魅入られました。なんかカッコいい。異端者とはニッチャーのことを言っているのではないかと。思わず自己陶酔しそうです。
光のあたらない小さな飲食店。ニッチな飲食店ビジネス。変わり者と言われながら新しいなにかを信じている人。異端者。しかし明日の日本の飲食店ビジネスの救世主になるかもしれない。
しかし、よく読んでみると少し違うようですね。確かに異端者は明日の救世主かもしれませんが、だからと言って主流を行くことになるわけではなさそうです。本文は以下でした。
中世の宗教裁判や魔女狩り、ナチス・ドイツ、ソ連、中国の文化大革命、カンボジアのポル・ポト率いるクメール・ルージュ、そして大政翼賛会や特別高等警察も、正しい世界を作ろうとした事実を忘れてはならない。正しい世界の構想を誤ったのではない。普遍的真理や正しい生き方がどこかに存在するという信念自体が危険なのだ。
繰り返す。なぜ異端者が必要なのか。それは答えが原理的に存在しないからである。(『答えのない世界を生きる』P142)
ひとつの考え方だけではなく、違う考え方が必要ということですね。ニッチな飲食店は、明日の飲食店ビジネスの神さまにはなれないかもしれません。それでも「異なる視点」ということで存在意義があるということです。
変わり者の道を貫く人が必要ですね。世界に正しい答えはないから。
<参考文献>
小坂井敏晶『答えのない世界を生きる』祥伝社 2017