「イギリス料理はまずい」。本当なのでしょうか。疑問に思うことは大切だとアインシュタイン博士も言っています*。確かめる必要がありますね。
   
 調べてみると「まずい」と言われていることは確かです。しかし、それほどではない。そればかりか、これから世界のなかでも「おいしい国」になると予測できます。エスニック・ニッチが関わっています。

まずは概要です。以下興味があるようでしたら本文をご覧ください。
  
 「イギリス料理はまずい」ことについてはたくさんの証言があります。産業革命に関連した農村の変化が要因のようです。しかし現代となってはそうは言い切れません。「イギリス料理はまずいハズ」という先入観があると思います。イギリスは20世紀後半から移民が増加しています。世界を見ると移民が増えた国は食文化が豊かになっています。これからイギリスは美食の国になります。食のビッグ・ビジネスも生まれるかもしれません。

1.それでも「イギリス料理はまずい」の多数の証言

 イギリス料理がおいしくないことについての証言は、苦労することなく集めることができます。イギリス料理のジョークには旧ソ連でのイギリス人スパイの発見方法というのがありました。「レストランで出てきた料理にいきなり塩をかけるのがイギリス人スパイ」。

●「イギリス料理には、大きく二つの欠陥があることがわかる。」

 リンボウ先生こと、国文学者・作家である林望(はやしのぞむ)先生が語る「まずい」の理由です。著書『イギリスはおいしい』は1991年の日本エッセイストクラブ賞を受賞した名作です。この本のなかで林先生はイギリス料理がまずいと言われる理由について以下のように語っています。
     
「かくして、イギリス料理には、大きく二つの欠陥があることがわかる。その第一は塩気についての、そして第二のテクスチュアについての無神経である。」
     
 つまり、ひとつは、あとから自分で塩味をつけないと味がないということ。もうひとつは、テクスチュアのことですが、徹底的に茹でられて、味も香りも栄養も失せてしまった野菜のことを言っています。塩味のない料理と、それに添えられたクタクタの野菜。確かにおいしくなさそうです。
     
 それでもリンボウ先生は本のタイトルで「おいしい」と言っています。これについてはあとで説明します。ほかにもイギリス料理のまずさについて証言する人がいます。

●第9章「イギリス料理はなぜまずくなったのか」

 これは『世界の食文化17-イギリス』(川北 稔著)の第9章のタイトルです。食文化を語る本としては堂々としたタイトルですね。
  
 解説では、参考文献のコリン・スペンサーの『イギリスの食べ物』のなかにこの理由がかかれているとしています。以下引用です。
     
 『ヴィクトリア時代の社会的競争心の強さ、いわゆる「イギリス人の上流気取り(スノッブ)」…(中略)料理もまた、味覚や楽しみは等閑視され、見かけやマナーが何より重要視された。』
    
 それによって「まがいもの」食材が多用され、子どもに美食を覚えさせることは罪悪とするようになった。また背景として囲い込みと産業革命、都市化で伝統的な農村生活を失い、庶民の伝統的な料理も同時に失われたからとしています。
    
 なるほどですね。しかし産業革命による都市化で伝統的な生活が変わってしまったのはイギリスだけではないと思います。根拠は示されていませんが心情的には理解できます。
 さらにイギリス料理がまずい理由についてスッキリと説明してくれる人がいました。

●「産業革命がイギリス料理をまずくした」

 『世界史の新常識』の第三章の一節のタイトルです。イギリス経済史が専門の小野塚知二教授がここで言い切っています。
    
 「イギリスの料理はまずいとしばしば言われる。まずい理由として、美食を欲しない国民性である、ピューリタンの影響で食の楽しみが罪悪視された、あるいは、気候が冷涼なために食が単調になるなどの俗説はいくつか唱えられてきたが、いずれも反証が容易で、学問的には支持しがたい怪しげな学説である。」
      
 一般的に言われていることの根拠はなにもないと指摘しています。確かに。すべて推測でしかありません。
 小野塚教授は客観的な分析のために三つの指標に注目しています。三つとは①食の多様性、②食の在地性・季節性、③調理方法の多様性です。
      
 これらについて、19世紀前半の数十年間で食材の多様性が著しく低下し、同時に在地食材、季節性も消滅したとしています。
 また調理方法も蒸す、炙る、遠火などがなくなり、塩茹で、オヴン加熱、油で焼く/揚げる(フライfry)の3種に集約された。
 これらによって「食文化は衰退」したと言っています。例証として、この時期に消失した食材とイギリス料理を表にして列挙しています。
  
 消失の原因は産業革命の前におきた農業革命であるとしています。いわゆる「第2次囲い込み(エンクロジャー)」です。これによって共有の財産である入会地がなくなり、多種多様の食材が利用できなくなりました。
   
 また農村の生活が消え、お祭りや結婚式などの祝祭がなくなり、そこでの豊かでおいしい食体験もなくなりました。富裕層の家庭の料理人を担っていたこれら下層階級の人たちの豊かな食体験の消失は料理の味付けの放棄につながりました。「味つけはお客さまがどうぞご勝手に」ということで塩味がないものができあがってしまったのです。
   
 なぜイギリス料理がまずいのか。すじ道のたった説明だと思います。やっぱりまずい。ということでしょうか。

2.イギリス料理はけっこうおいしい

 本当にまずいのかを確認するのなら、世界各国の料理と比較をしながら数年をかけて食べてみないと判断できないと思います。それはできないので、それ以外の方法で確認する必要があります。

●東京でイギリス料理を食べてみる。「おいしい」。しかし…

「東京で食べても意味ないよ」なんて言わないでください。まずは大好きな実食ですね。食べ歩きです。ニッチな飲食店のマーケティング企画室としては、これがなくてははじまりません。
   
 東京・丸の内にある「クーパーズ(GASTRO-PUB COOPERS」。老舗ビヤホールの銀座ライオンの系列店です。夜は丸の内のエグゼクティブたちでにぎやかなのだと思います。ランチプレートにはローストビーフやフィッシュアンドチップスもついてます。おいしいじゃないですか。
   
 東京・神宮前の「ディーニーズ(DEENEY’S)」。ここはスコットランド料理のお店です。トースティ、ハンバーガーなどが名物のようです。お客さまも女性が中心。人気店です。ボリュームたっぷりながら、ペロリとおいしくいただいちゃいました。
   
 東京・六本木のフィッシュアンドチップスのお店「マリン(MALINS)」。イギリス伝統のメニュー。本格的です。魚好きの国民としては白身魚のフライなら大歓迎です。味付け用に塩と酢とトマトケチャップまで用意されています。ここはイギリスですね。アツアツ、ホクホク。おいしくいただきました。
   
 どれもおいしいお店ばかり。しかし問題もあります。イギリス料理店の数が少ないという問題です。イタリア料理店、スペイン料理店の数などとは比較になりません。「食べログ」で検索しても数店しか出てきません。
   
 「イギリス料理はまずい」という定評によるものかもしれません。イギリス料理というカンバンを表に出せば「まずいよ」と指さされることになるのだと思います。しかし実際には「おいしい」。なんとかならないものでしょうか。

●「イギリス料理はまずいハズ」という先入観

 ここで都道府県魅力度ランキング(地域ブランド調査)についてです。毎年、騒動になっています。茨城県が最下位になるかどうかです。
    
 都道府県魅力度ランキングは、全国規模で数万人を対象にネットでアンケートが行われているようです。しっかりとした調査方法で客観的なものだと思います。
   
 私は茨城県が大好きです。かつて県北の「大洗港魚釣り園」に行き、イシモチを20匹以上釣った爆釣経験があります。おいしかったイシモチの思い出がしっかりと生きています。
   
 筑波山、霞ケ浦、未来都市つくば、ラーメンを日本で最初に食べたという俗説もある水戸光圀……風光明媚で農産品も水産物も豊かです。茨城県が常に最下位というのは私には疑問です。
   
 比較ですが私の出身地、山梨県はランキング25位です。自慢は富士山が半分、半分は静岡県ですね。あとは武田信玄と桃とブドウが自慢です。しかしこれで茨城県より20位以上も上というのはどうなのでしょうか。
  
 回答する人に先入観、バイアスがあるのではないでしょうか。「茨城県は最下位であるべき」という思い込みです。上位はいつも北海道、沖縄、京都です。もはや評価が定着してしまっているのだと思います。
  
 「イギリス料理はまずい」。これも「まずいべきである」という定着した観念があるように思います。茨城県の評価と同じように、共通の認識として確かめあって、安心しているだけのような気がします。

●おいしいかどうかをミシュランガイドで見る

 ミシュランガイド。毎年「あのお店が星をとった」などと話題になります。これがイギリス料理の全体を評価できるかどうかわかりません。しかしひとつのデータではあります。
  
 ロンドンの星付きのレストランの数を人口100万人あたりの数にしてみます。比較はニューヨーク、東京です。日本については、東洋文化好きのフランスなので少し値引きして考えたほうがいいかもしれません。
   
 人口は都市圏の捉え方で大きく変動します。なので英語版のWikipediaをもとにしました。東京は都の発表では1,396万人(2021年、郡部・島部を含む)となっています。データは1,352万人なのでほぼ信頼できる数字かと思います。
  
 ロンドンはニューヨークとほぼ同じです。三つ星はニューヨークと同じ0.57。二つ星は1.13ですが一つ星については6.57でニューヨークを上回っています。世界最先端の都市ニューヨークと同程度なら「イギリスはまずくない。おいしい」と言っていいと思います。

ミシュランガイド。ロンドン・ニューヨーク・東京。
●リンボウ先生は「イギリスはおいしい」と言っている

 前述の林望先生の本のタイトルは『イギリスはおいしい』です。イギリスの各地を訪ねてはアレコレと食べ物や料理について語っています。そして最後に友人のストレンジ家を訪ね、いっしょに台所に立ち、いっしょに料理をつくり、ともに食事をしてこう語っています。
   
 『それでもなお、イギリスの食卓には、私たちの国ではもうとうに失われてしまった、なにか美しい「あじわい」が残っているのであった。』
    
 手放しの賞賛です。先生の言う「おいしさ」とは舌に残る食べ物のたんなる化学反応ではなく、そこに集う人のこころ、イギリスの文化、時間の過ごし方だと言っています。
   
 そのとおりですね。あちこちのお店に行って、うまいのまずいのと言うのは即物的で思慮の浅い行為かもしれません。恥ずかしくなってしまいます。
  
 ということでミシュランガイドでデータを調べました。リンボウ先生からはおいしさとはなにかということを確認しました。「イギリス料理はまずくない」という結論でいいと思います。

3.イギリス料理はこれからエスニック・ニッチでおいしくなる

 そればかりではありません。これから世界有数のおいしい国になるはずです。現代のイギリスの移民事情がそう予測させます。

●すでに14%が外国生まれ。エスニック・ニッチの飲食店が増加

 JLGC*によるとイギリスの人口の14%が外国生まれ。さらにロンドンでは35%となっているとのことです。
  
 第二次大戦後、旧イギリス植民地からの移民が急増しました。国籍法によって市民権が与えられたためです。労働力不足もあったために、さまざまな民族が移民してきました。また東欧諸国のEU加盟後にも各国からの移民が急増しました。
  
 今世紀に入ってからは毎年100万人単位で移民が増えています。つまりイギリスは移民大国です。
   
 世界共通ですが、移民にはさまざまな問題がついてきます。これによってイギリスもEUから離脱してしまいました。しかし食文化という観点からすると、移民が増えると食文化は豊かになります。
  
 エスニック起業家と呼ばれる人たちが増えるからです。移民には意欲ある人たちがたくさんいます。起業のリスクをいといません。移民たちが真っ先に手をつけるのが飲食店ビジネスです。これがエスニック・ニッチの飲食店です。
   
 飲食店ならば同じ国の人たちに提供できます。お客さまが確実にいるということです。お客さまの確保はマーケティングの基本です。さらにエスニックの料理ですが、うまくその国の人たちにあわせられると繁盛店になります。
  
 移民が増えるとエスニック・ニッチの飲食店が増えることになります。

●美食の国、ペルーと台湾の秘密

 移民によっておいしくなった国の事例があります。南米のペルーと台湾です。
   
 日本ではあまり知られていませんがペルーは美食の国として世界で知られています。イギリスの老舗出版社が主催する「世界ベスト50レストラン(The World’s 50 Best Restaurants)」ではペルーの首都リマのレストラン「セントラル(Central)」が4位、「マイド(Maido)」が7位になっています。
   
 美食の国になったのはさまざまな国からやってきた移民たちの食文化です。征服者としてのスペイン人、奴隷労働者としてのアフリカ人、ヨーロッパ各国からの移民、20世紀初頭には中国人、日本人もやってきました。各国の食文化がアマゾンやアンデス、ペルーの海産物などの多様な食材ともめぐりあって美食の国となりました。
   
 「マイド(Maido)」は日系ペルー料理店です。日系人の活躍も美食の国ペルーの評価を高めています。
   
 もうひとつ注目したいのが台湾。1949年の中華人民共和国の成立とともに、台湾には中国全土から逃れてくる人たちがやってきました。それによって台湾では中国4大料理など中国各地の料理が食べられるようになりました。
   
 ミシュランガイドでみると台北の100万人あたりの二つ星レストランは3.17。一つ星レストランは11.11です。東京以上の評価です。海外からの旅行者は台湾においしい食事を求めてやってきています。

●世界のビッグ・ビジネスに成長するエスニック・ニッチの飲食店

 移民と言えば忘れてはならないのがアメリカ。移民たちの食文化はアメリカの大きなビジネスにつながっています。
   
 フライドチキンはアメリカ南部のケイジャン料理が発祥です。植民地時代のフランス人と奴隷としてやってきたアフリカ人の食文化が融合してできあがりました。
  
 ピザはイタリア移民がアメリカに広げました。もともとはナポリの地方料理。ピザが好きになったアメリカ人がイタリアの各観光地で「食べたい」と注文することから、イタリア全土にピザが広がったとも言われています。
  
 ファストフードの王者ハンバーガーも、ドイツ移民たちの郷土料理ミートボール(Frikadelle)から発展しました。マクドナルドは伝説の経営者レイ・クロックがフランチャイズ・システムを開発。いまのようなビッグ・ビジネスになりました。  
   
 それぞれ大きな世界的なファストフードチェーン店になっています。ファストフードがおいしいとは言えません。しかし移民が持ち込んだ料理によってその国の食文化が豊かになり、飲食店ビジネスが成長したことは確実です。さらに世界のビッグ・ビジネスになることも期待できます。

 移民が増えることによって食文化が豊かになるのは明らかです。これから先のイギリスは、移民による問題をひっくるめながらも「おいしさ」については必ず向上するはずです。まずいを返上して、「世界のなかでもイギリスはおいしい国」となることは間違いありません。

ミシュランガイド。ロンドン・ニューヨーク・東京・台北

 最後にネットで見つけたイギリス料理ジョークの続きです。
  
 『イギリスを訪れた世界中の人々が言った。「イギリスは豊かな国だと聞いてたのに、イギリス料理なんか食べている。そんなに食べ物に困ってたなんて全然知らなかった」』
  
 安心してはいけません。日本については、
  
 『日本を訪れたフランス人が言った。「日本は豊かな国だと聞いてたのに、海草なんか食べている。そんなに食べ物に困ってたなんて知らなかった」』

  ちなみに「日本人の腸には海草(藻)に含まれる食物繊維を分解できる特殊な腸内細菌がいる」とのことです。

<参考文献>
林 望『イギリスはおいしい』文春文庫 2011年
川北 稔/石毛直道監『世界の食文化17-イギリス』農文協 2006年
文藝春秋編『世界史の新常識』文春新書 2019年
カリド・コーザー/是川 夕監・平井和也訳『移民をどう考えるか-グローバルに学ぶ入門書』勁草書房 2021年
   
*Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow. The important thing is not to stop questioning. Albert Einstein 
過去を学び、明日に希望をもって今日を生きる。大事なのは疑問を持ち続けることだ。アインシュタイン
*Japan Local Government Centre London 英国の移民の歴史 2021年01月18日