ここ2年のコロナ禍で飲食業界は大きな影響を受けました。しかし人類がこの災禍を克服する日は間近です。激減した海外からの観光客3,000万人が復活することも間違いありません。当企画室は欧米からの観光客専用レストラン「おせちや」が出現することを予測します。
●お客さまは日本の正月文化を味わいたい欧米の観光客
欧米の外国人観光客が期待するものは「日本らしさ」です。日本のお正月は、その日本らしさにあふれています。ところが、それは1月のわずか数日でしかありません。来日するすべての観光客の方に味わっていただくことができません。それを実現するニッチな飲食店が「おせちや」です。
時間というカテゴリーで、ここまで元祖、老舗、レトロをテーマにした飲食店についてお話ししてきました。時間には、さらに季節というテーマもあります。
夏の食べ物、かき氷。東京・谷中の「ひみつ堂」は豪華なかき氷で有名な専門店です。冬でも行列が絶えないお店です。ほかには、そうめんの専門店も東京都内には何店かあります。しかし、かき氷もそうめんも秋冬にはお客さまを集めるのが大変です。なのでたくさんお店ができることはありません。
季節ということでは、お正月には、おせちや雑煮もあります。しかし専門飲食店はありません*。日本人ならお正月しか食べないからです。つまり、お客さまを集めるということができないということです。
しかし、これから増加する欧米からの観光客をメインのお客さまとするなら可能性があるはずです。東京・赤坂のレストラン「NINJYA」。忍者が登場しておもてなしするスタイルのレストランです。忍者のエンタメもありますが本格的な料理も提供しています。世界一予約のとれないレストラン「エル・ブリ」のシェフ、フェラン・アドリアも来店したというお店です。海外からの大事なお客さまの接待にもよく使われているようです。
外国人客はせっかく極東の日本まで来たのならエキゾチックな雰囲気を味わいたいと思っています。欧米からの旅行者ならば、そのための予算と時間は十分にあります。おせち料理専門店なら、欧米の旅行者の希望を満足させることができます。
*雑煮メニューがまったくないということではありません。お雑煮は甘味処(かんみどころ)と呼ばれる和風スイーツのお店にあります。また、東京・渋谷には「雑煮屋鳥居」というお店もあります。しかし、こちらは本業はバー。雑煮メニューで差別化しているようです。
●「いかにも日本」のおせち料理と外国人が好きな正月料理の提供
「おせちや」では見ためも華やかなおせち料理と食べて満足する日本の正月料理をサービスします。
おせちはきらびやかな三段のお重。たとえば黒塗りの漆器に金の蒔絵の重箱で運ばれてきます。料理も大切ですが器も重要です。一の重を開けると数の子、黒豆などの祝い肴、口取り。二の重には鯛や海老などの焼き物。三の重には煮物などが入っています。
大事なのは日本の伝統的な流儀にそった盛りつけやあつらえです。ここはおいしさやボリュームではないと思います。おせちは素晴らしい料理ですが冷たい料理です。できたてのアツアツの料理にはかないません。日本らしさを感じてもらうことが目的です。あざといと言われても黒豆に松葉串をさして金粉を飾りたいですね。
おいしさやボリュームはお正月料理がメインになるはずです。お約束の鯛の塩焼きでしょうか。いやいや、ここはお客さまである欧米の人たちが大好きな和牛のすき焼き、しゃぶしゃぶ、鉄板焼きなどの肉料理がいいと思います。できれば職人が握るお寿司も出したいところです。観光庁の調査データを読んでみましょう(下図)。
日本酒を体験したいという人も多いようです。朱塗りの盃と屠蘇器でお酌したいですね。お正月の雰囲気がさらに高まります。
大切なのは見せ方です。世界各国の食文化を研究するアメリカのヘレン・C・ブリティンは日本料理の特徴を「慎重な調理と巧みなプレゼンテーション」と言っています。巧みなプレゼンテーションとは客の前で寿司を握る職人や、すき焼きを手際よくつくる女将さんをイメージしているはずです。
●日本らしさは日本の正月行事で
食事だけで日本らしさに満足することはできません。体験サービスもコースに加えるべきです。
(1)書初め(かきぞめ)
「お正月」「初日の出」などが定番ですね。冬休みの宿題でした。はじまりは平安時代の「吉書初め(きっしょはじめ)」とのこと。その後江戸時代の寺子屋教育でひろまったようです。外国人向けの書道体験は人気イベントのひとつです。自分の名前を漢字にしてみることも喜ばれているようです。
(2)初釜(はつがま)
日本と言えば茶道です。外国人向けの茶道教室も人気です。茶席の作法という様式美は魅力的です。食事のあとのお茶、和菓子のスイーツも味わっていただけます。
前述のアメリカの食文化研究家ヘレン・C・ブリティンは日本の食文化への影響として茶道など「茶」に関して多くを語っています。日本人として考えると「それほどなの?」とも思うのですが、世界各国との比較から考えるとお茶との関係が日本の食文化として一番理解しやすいのかもしれません。下段に別記で引用させていただきます。
(3)年賀状
手軽なイベントとして年賀状を書くというのもいいのではないでしょうか。年賀状は平安時代にはじまった習慣のようです。藤原明衡(ふじわらのあきひら)の『庭訓往来』に最古の年賀状に関する記述があるようです。日本的なデザインの年賀状で友人や家族あるいは自分あてに年賀状を書く。いい思い出になるはずです。
(4)初詣(はつもうで)
神社をつくるわけにはいきません。室内にちょっと豪華な神棚があると初詣になるかもしれません。ただし宗教にも関わることなので希望者にするなど注意したいところです。
(5)正月用品のおみやげ
物販は大きな売上につながります。正月用品は季節が過ぎたら国内でも買えません。日本らしいおみやげがこの店で買えるなら利用されるはずです。重箱をはじめ、漆器などの食器類、しめ飾り、書道キット、羽子板……たくさん思いつきますね。海外でも人気になっている日本酒や刃物などもあるといいですね。いろいろまとめて「福袋」というのもいいかもしれません。
●本当に必要なのは日本の思い出づくり
お店の入り口に大きな松飾り、門松が必要ですね。室内には、しめ飾り、生け花、掛け軸を飾りましょう。鏡餅もどんと置きたいですね。スタッフの方は大変かもしれませんが和服がいいでしょう。音楽は宮城道雄の琴、名曲「春の海」ですか。一日中聞くのは日本人スタッフにとっても大変です。日本らしい伝統音楽であればいのではないでしょうか。
お客さまが望んでいるのは日本らしい体験です。はるか数万キロもかなたからやってきて、どこにでもある高いビルやファッションなど見たくないはずです。日本食レストランも世界の大都市なら必ずあります。望んでいるのは日本らしい経験をして、大切な思い出をつくることです。
四国・徳島県の祖谷(いや)が外国人の人気観光スポットになっています。驚きです。平家の落人伝説のある秘境。山深い谷川にかかる葛橋(かずらばし)、つるでできた橋が有名な場所です。この橋を渡るのはスリルがあるようです。すいません、写真でしか知らないのでうまく説明できません。外国人観光客には日本らしさを体験できる場所として人気が高まったようです。
お客さまがよろこんでいるものはなにかをよく考える必要があります。マーケティングの原点です。できるだけ日本的な風景や習慣を見て、感じて、経験として記憶し、楽しい思い出をつくること。いっしょに旅をした人とそれを共有すること。あるいは帰国して友だちに伝えること。それが本当にしたいことです。そのための仕組みづくりこそが提供すべきサービスです。
●「おせちってなにさ」。コンテンツ・マーケティングでお客さまを呼び込む
最後に大事なこと。どうやってお客さまに「おせちや」まで来てもらうかです。世界に向かって「おせちや」を知らせるしかありません。ネットを使って情報を出すことです。
「おせちや」のことだけでなく、おせち料理や日本の正月にまつわる情報を出すことで伝わるはずです。ニッチに関する情報を提供するコンテンツ・マーケティングはニッチな飲食店だからこそできる作戦です。
おせち料理は宮中の祭事「節会(せちえ)」から来ています。天皇のために出された料理「御節供(おせちく)」からきているとのこと。エビは腰が曲がるまでとか黒豆はマメに働くなど、おせち料理にはダジャレもあります。知って楽しい情報がいっぱいあります。
正月行事は神事から年末のすす払いなどまで多岐にわたります。節供にはひな祭り、端午の節句、七夕など五つの節供もあります。これらの情報を熱心に集めれば一冊の本にもなりそうです。英語での発信が必須ですが、豊かなコンテンツは多くのお客さまを集めることにつながります。
「おせち」というニッチに関するコンテンツを集めて徹底的に情報発信する。これによって独自の地位(ポジション)が築けます。「おせちや」は世界でも珍しいニッチな飲食店になることができます。
●いつもの落ちの代わりに「日本らしさ」について
私のふるさと山梨県の富士吉田市は、近年、世界的な観光名所となりました。富士山と五重塔と桜が同時に見られる場所として紹介されたからです。
この五重塔、実は神社やお寺のものではありません。1959年(昭和34年)に戦没者慰霊碑として公園に建てられたものです。鉄筋コンクリート製です。子どものころに見たときは「なんだかなぁ」と思っていました。それがある日突然、日本を代表する風景としてNHKのニュースになって登場。地元出身者としては「腰が抜けて、目からウロコが落ちて、顎がはずれるような大事件」でした。
重要なのはお客さまにとっての価値です。「この風景が理想的な日本らしさ」と思えるのなら「それもいい」と考えるべきかもしれません。…落ちがなくてすいません。
ヘレン・C・ブリティン『国別 世界食文化ハンドブック』より 日本からの引用
<食文化への影響>
日本は山がちな島々で構成されているため、農業に利用できる土地は少ない。食料の多くは輸入されている。沿岸の海域では魚介類が獲れる。島国であったため、日本では、魚、海藻、野菜、果物などの固有の食材に頼った料理が発達した。6世紀から9世紀のあいだに日本にもたらされた中国の影響は、仏教、大豆、茶である。中国から800 年頃に初めて輸入された茶は、15 世紀に日本の宮廷が仏教の茶礼を採択したこともあり、広く一般的な飲み物となった。茶道は13世紀にはじまり、禅僧が修行のあいだに儀式として、また眠気覚ましとして茶を飲んだ。この儀式は、禅寺では今でも重要視され、社交活動として今も広く行なわれている。今日、茶道は自然との調和と自分自身との調和を反映している。本格的な茶の儀式(茶事)には、色彩と味のバランスをとり、季節を反映させた小さなコースの食事(茶懐石)が含まれる。それよりシンプルな茶会では、茶の前に菓子が供される。茶は、緑茶の粉末に湯を加え、泡立てて緑色の飲み物を作る。16世紀半ば、ポルトガル人は日本と貿易を開始し、天ぷら(水溶き小麦粉を食材につけた揚げ物)をもたらした。1850年代、日本は固く閉ざされた鎖国時代を終え、工業化とともに西洋の食生活を取り入れはじめた。仏教による菜食主義は徐々に放棄され、牛肉、豚肉、鶏肉が料理に現われはじめる。魚介類と米(ご飯)は、ほとんどの食事で食べられる主要な食べ物である。大豆製品、海藻、野菜、果物が重要な食品である。日本科埋は慎重な調理と巧みなプレゼンテーションが有名で、それぞれの食品の特性をよく理解している。
参考文献
ヘレン・C・ブリティン著/小川昭子・海輪由香子・八坂ありさ訳『国別 世界食文化ハンドブック』柊風舎 2019年
東條英利『知っておきたいお正月の手引書』勉誠出版 2020年
上島亜紀『おせちと一緒につくりたいお正月のおもてなし料理』成美堂出版 2019年