みなさま、いかがお過ごしでしょうか。感染症拡大で大変ですね。生活もビジネスも大混乱。はやく収まることを祈るばかりです。無事にこの難局を乗り越えられるよう、みんなで協力してがんばりましょう。
今回は、前回ブログの宿題解答編です。宿題は、「ニッチで市場を切りきざむと、対象のお客さまも少なくなりビジネスとしてうまくいかない。これをどうするか」でした。私の解答は、「ニッチな飲食店が成長するためには、連続的な新提案が必要」ということです。
1.19世紀後半、アメリカ社会の工業化で食スタイルが変化
いま、感染症拡大で家庭での飲食が多くなっています。巣ごもり消費ともいわれていますね。ハンバーガーなどのファストフードの持ち帰りやデリバリーも急増中です。このハンバーガーについて調べてみると面白い発見がありました。ニッチがからんでいます。
ハンバーガーがビジネスとして大きく成長した要因は3つあると思います。ひとつは、アメリカ社会が大きく変化したこと。次に、ニッチなドイツの郷土料理であったこと。最後に、連続的な新提案があったことです。
ハンバーガー誕生の背景には、19世紀後半からのアメリカ社会の急速な工業化があります。製鉄では、1850年代に新しい製鉄法が開発され、鉄鋼の大量生産が可能になりました。1859年にはペンシルベニア州で石油が発掘され、オイルラッシュが起きました。1869年には、最初の大陸横断鉄道が開通。この時代に技術や産業が進歩し、アメリカ社会は工業化していきました。
工業化の発展とともに工場労働者が増加。24時間の交代制勤務などで深夜にも食事をする必要が生まれました。夜勤の労働者向けに「ダイナー」ができたのもこの時代。(ダイナーの登場には、西部開拓史に登場するキッチン用の幌馬車、チャックワゴンが源流にあるようです。)工場労働者にとっては、レストランで食べる食事よりも、カンタンにすぐに手で食べられる食事の必要性が生まれました。
<参考>
Wikipedia アメリカ合衆国の技術と産業の歴史
鈴木 透『食の実験場アメリカ』中公新書 2019年
2.ニッチな郷土料理ハンバーグから生まれたハンバーガー
ハンバーガーは、ハンバーグ・ステーキから生まれました。…そのまんまですね。ハンバーグはドイツ語のハンブルクに由来します。ハンバーグがアメリカにやってきて、ハンバーガーが誕生するまでには少し物語があります。
19世紀半ばのヨーロッパは、ナポレオンが暴れまわった後始末が大変でした。元どおりにしようとしたウィーン体制は、ジャガイモ飢饉や自由を求める市民による1848年革命(ニ月革命、ウィーン・ベルリンの三月革命)で大きく揺れていました。そんな騒動から逃れるために、19世紀半ばから20世紀前半にかけて、約1,000万人のドイツ人がハンブルク港などからアメリカへと旅立ちました。このとき、ドイツのひき肉の郷土料理Frikadelle(ミートボール)もアメリカへと渡りました。
1870年ごろから、肉をミンチにするひき肉器が一般に普及。1876年の万国博覧会でドイツ料理店のハンバーグ・ステーキが評判になり、この料理が全米にひろがりました。
ハンバーグは肉の切り落とした部位などをミンチにして使うことから、低コストで作ることができました。お客さんにとっては手軽な価格の食事としてありがたいメニューだったようです。
一方、なんでも材料として使えることから、衛生上問題のある肉まで(そう、思い浮かぶあんな肉やこんな肉まで)、入っていたこともあったようです。食中毒や訴訟などのトラブルが新聞や雑誌で話題になったとのこと。食肉にいろいろ混ぜてしまう事件は、アメリカだけでなく、日本でもいろいろありましたね。
ハンバーガーの誕生は19世紀末ごろ。ハンバーグをパンにはさんだものをハンバーグ・ステーキ・サンドイッチとよんでいたようです。1893年にネヴァダ州の「イヴニング・ガゼット」紙、同じころ「シカゴ・トリビューン」紙が、ハンバーグ・ステーキ・サンドイッチの評判を記事にしています。その後、1904年に開催されたセントルイス博覧会でハンバーガーが人気となり、以降アメリカ社会に定着していったようです。工業化社会になり、手軽な食事が必要になったこの時代に、その要求にこたえるハンバーガーが生まれたということです。
気になるのはハンバーガーの創作者は誰かです。候補者はたくさんいるものの、特定されていないようです。パンにハンバーグをはさんだだけなので、追跡は難しいでしょう。いまでもテキサス州、ニューヨーク州など各地で発祥の地を主張しているようです。「諸説あります」っていうやつですね。
<参考>
アンドルー・F・スミス『ハンバーガーの歴史』P‐Vine Books 2011年
3.続々と続く新しい提案で世界に飛躍
ハンバーガー・チェーンというと「マクドナルド」が一番に思い浮かびます。しかし、アメリカのハンバーガー・チェーンの歴史は古く、1921年からはじまっています。最初のチェーン店は、「ホワイト・キャッスル」。小さな四角形のハンバーガー「スライダー」で有名になりました。このホワイト・キャッスルは、現在でもアメリカ13州で375店舗を展開していて健在です。めずらしい100年企業、日本でいう老舗ですね。
おなじみの「マクドナルド」が誕生したのは1940年。それまでのハンバーガー・ショップは市街地での出店が中心でした。しかし、「マクドナルド」はクルマ社会の進展にあわせて郊外に出店しました。また、商品数を絞り込み、使い捨ての紙カップやプラスチックトレーを導入。カウンターで注文するセルフスタイルやドライブスルーを採用して効率化を図りました。
これが大成功でした。「バーガーキング」や「タコベル」なども、「マクドナルド」の仕組みを見習って、この時期に創業しています。マクドナルド兄弟は、このビジネスモデルをフランチャイズとして販売することにしました。ここで、「マクドナルド」を世界的なビジネスにしたレイ・クロック氏が登場。最終的には、マクドナルド兄弟の権利を買い取り、本格的にフランチャイズビジネスとして展開をはじめました。
ポイントは店舗用の土地を本部(フランチャイザー)が買い、事業者(フランチャイジー)に貸すという仕組みです。これによってフランチャイズ権料とともに賃貸料収入も生まれ、ビジネスとして大きく飛躍しました。また、フランチャイジーにとっては、余分な労力が減りスムーズに事業を始めることができる利点がありました。
その後、「マクドナルド」はビックマック、エッグマフィン、フィレオフィッシュ、ホットアップルパイなどの新メニューを続々と投入。フランチャイズノウハウや店舗の運営システムなども改善を続けたことで、ファストフード業界の代表的な企業になりました。次々と新しい提案がおこなわれた結果、現在は、世界各国に3万7千以上の店舗がひろがっています。ニッチな郷土料理が大きなビジネスになりました。
<参考>
ジョシュ・オザースキー『ハンバーガーの世紀』河出書房新社 2010年
レイ・クロック『成功はゴミ箱のなかに』プレジデント社 2010年
鈴木 透『食の実験場アメリカ』中公新書 2019年
4.ニッチな郷土料理から成長したビジネスは日本でも
あらためてハンバーガーの成長要因です。ひとつは、背景としての工業化社会への変化。続いて、ニッチなドイツの郷土料理から誕生した商品。最後に、新メニューや効率的なオペレーションなどの連続的な新提案です。
ここで、自分からツッコミです。「いやいや、うまくいっているビジネスなら、後付けで、なんとでもいえるだろ」。そのとおり!。成長しているビジネスについて、成功要因をこじつけていくのはカンタンです。
ということで、ふりかえってみると、日本でも同じようなケースがありました。郷土料理から成長したビジネス、長崎出身のちゃんぽんの「リンガーハット」です。2020年現在、グループで800店舗以上、売上高は約470億円。創業は1962年。もちろん長崎です。1974年に長崎ちゃんぽんの専門店を開店。長崎で11店舗まで展開し、1977年、福岡からチェーン展開しました。さらに、その後首都圏へと出店しました。
「リンガーハット」は、長崎ちゃんぽんだけでなく、皿うどんや野菜たっぷりちゃんぽんなど新メニューの提案が続いています。また、他の外食チェーン店にはない、国産食材の使用に一貫してこだわっています。たとえば「きくらげ」。あの黒いびらびらです。でも、ちゃんぽんには、なくてはならない食材です。国産きくらげの生産量は、全体のわずか3%。その国産のきくらげを使っています。新メニューや国産へのこだわりなどの新しい提案がお客さまに支持されているようです。
長崎ちゃんぽんにも、始まりの物語があります。考案者は陳平順氏。1892年、混乱する清朝末期の中国からやってきました。1899年(明治32年)に旅館兼飲食店の「四海樓(しかいろう)」を開店。同じころに中国からわたってきた多くの留学生の身元引受人にもなりました。陳氏はそれだけでなく、彼らに栄養価の高い食事も提供していました。それが「ちゃんぽん」。陳氏の故郷、福建省の料理をアレンジしたもので、料理名のちゃんぽんも、福建語の「吃飯(ごはんを食べる)シャポン」からきたといわれています。
混乱する国からの移民と社会の変化、郷土料理のアレンジなど、ハンバーガーも長崎ちゃんぽんも物語としてよく似ていますね。ニッチな郷土料理メニューからビジネスとして大きく成長した事例です。
なぜ、長崎ちゃんぽんを販売メニューにしたかについては、2代目の社長米濱証二氏が「どさん子ラーメン」チェーンがヒントだったと語っています。
ヒントになったという「どさん子ラーメン」チェーンもニッチな郷土料理、札幌ラーメンから誕生しました。「どさん子ラーメン」は1967年に開店し、チェーン展開。現在も国内外に約230店舗を展開しています。
それまで東京近辺では、なるとやメンマの入ったしょうゆラーメンが主流でした。しかし、「どさん子ラーメン」の出店で、ボリュームのある濃厚なみそラーメンが新しいラーメンメニューとして人気になりました。これ以降、九州ラーメンなどの各地のラーメンがチェーン店として展開されるようになりました。ニッチな郷土料理にはチャンスがありそうです。
<参考>
菊池武顕『あのメニューが生まれた店』平凡社 2013年
米濱証二『経営術』SUN POST 2016年
5.社会はオンライン化、飲食は個食化。新しい提案を
これからの飲食店ビジネスについてです。今回の感染症拡大で、日本の社会も大きく変化すると思います。みんなが集まってなにかをする社会から、ひとりひとりがオンラインで協力しあってなにかをする社会に「離陸」すると思います。これまでの工場や学校のような集団活動の仕組みは、まるで昔の軍隊のようでした。みんなでラジオ体操の社会から、ひとりひとりのストレッチの社会に。これからは、それぞれがもっている違ったチカラ(能力)を社会で生かすことが期待されてます。(だから、ヒトはニッチであるべきだと叫びたいのですが、長くなるのでまた後で。)
ひとりひとりがオンラインで働くということは、同時に、これから個食化が急速に進むということだと思います。
「人々は決まった時間や場所で食べなくなり、これまで以上に早食いするようになるだろう。(中略)…食べ物をちびりちびるとかじる習慣は、ますます顕著になりそうだ」
食の歴史を研究したジャック・アタリは、個食化について、こう予想しています。
かつての大家族、核家族中心の世帯構造が、単独世帯(ひとり住まい)へと移行しているのはデータでみても明らかです*。2016年現在で最も多いのは、夫婦と未婚の子世帯で29.5%。しかし、減少中です。単独世帯は26.9%、増加中です。これから、さらに高齢化などによりひとり住まいが急速に増えていきます。やがて単独世帯がトップになるのは時間の問題です。
*厚生労働省 国民生活基礎調査 2018年
「おひとりさま」社会が本格化し個食化が進むなら、飲食ビジネスも新しいものを誕生させる必要があります。ハンバーガーがたどってきた道です。
1970年代、ファミリーレストラン(ファミレス)が核家族むけにできました。いまは、個食化に向けたソロレストラン(ソロレス)が必要です。ひとりでごはんを食べることは、すでに常態化しています。ぼっちめしなどとからかわれながらも、個食化はもう進んでいます。ところが、一般の飲食店ではまだ、ソロレスをはっきりと標ぼうする店は、スープ・ストック・トーキョーぐらいで、あまりありません。ジャック・アタリ氏がいうように、個食化によって朝食、昼食、夕食などの時間帯の制約はなくなり、食べる回数、量もまちまちになると思います。新しいアイデアがいっぱいでそうです。
「もったいない、そこに見えているのに」と思うのですが、業態を変えるのは勇気がいることだと思います。しかし、日ごとに変わっていく社会です。新しい提案が必要です。
<参考>
ジャック・アタリ『食の歴史』プレジデント社 2020年
6.まとめ。社会の変化に新提案。ただし、ニッチであること
変わり続ける社会。ここのところの事変でさらに急速です。オンラインが主流になります。飲食は個食化が進みます。新しい提案を連続的におこなうことで、ハンバーガーや長崎ちゃんぽんのように、ニッチがルーツであってもビジネスとして大きく成長するチャンスがあります。
社会への新しい提案は、どんな飲食店でも必要なことです。そこで、ニッチであることが重要です。究極の差別化、たったひとつのポジショニングといえるからです。ニッチでなければ、大企業のヒト・モノ・カネ・情報のチカラで、競合する事業者は淘汰されてしまいます。ニッチが大切です。
当室が考えるニッチについては、長くなりますので、また詳しくレポートさせていただきます。またまた、宿題ですね。大丈夫です。ほとんどできています(^_^)。
ところで、また私のヨメさんの実家、讃岐の香川県の話。ここにもニッチな郷土料理があります。お正月のお雑煮に「あんこ餅」が入っています。どうでしょうか。……う~ん、世界的なビッグビジネスまでは無理かなぁ。まずは、この難局を乗り越えるように頑張りましょう。