「公営食堂」。レトロな響きですね。国や自治体による災害対策の飲食店です。「公営の飲食店。ありえない」なんて言わないでください。これから必ず起こる大災害。そのときのためのニッチな公営飲食店です。大災害のあとには避難生活があるからです。しかし設置には多くの問題があります。
●大災害。対策だけでなく避難生活の準備も
大災害は必ず起きます。大地震は地震研究で、風水害は気候変動で予測されています。もはや疑問の余地はありません。時間だけの問題です。
国も自治体も対策しています。みなさんの家庭でも非常用持ち出しや非常食・飲料など準備されていることと思います。
災害が起きて命を守れたら避難生活です。2011年の東日本大震災では多くの人が体育館などで長い期間、避難生活を送りました。
災害対策ができたら、その次、避難生活の準備も必要です。ニッチな飲食店のマーケティング企画室としては「飲食店」が必要と考えます。
「飲食店なんて、のん気。」と言わないでください。おなかが空くと元気がでません。食事は前を向くときにどうしても必要なものです。少しだけでも暖かい食事をすることで避難生活から復興への力がわいてくるはずです。
国や自治体が営業する、どんなときにも食事ができる公営食堂。ニッチな飲食店です。
●藤原辰史の「公衆食堂普及宣言」
公営食堂の構想は『ナチスのキッチン』など農業史研究で著名な藤原辰史さんが「公衆食堂普及宣言」として提言されています。以下、著書『食べること考えること』からの引用です。
…津波や原発で土地を追いやられ、職を失う人が増えれば地域経済が下降に向かうのは当然で、ますます多くの失業者が生まれる。そうした人たちが居られる場所や雇用を確保するためにも、私が震災前から放談している「公衆食堂」「公衆の食べる場所」があったら良いと思うんです。(中略)
…地域の自治体が、広場に簡単なテントやイスを並べて食堂を作る。そうすれば人びとは、そこに集まって、休んだり食べたり、そこには雇用も生まれるとも思うんですね。ただ水を飲んで寝ているだけでもいい。そのような公衆食堂、公衆フードコートのようなものが、これからの社会を構想するときの、ひとつの拠点になればいいと思います。
東日本大震災より前から提言されていたようです。人びとがそこに集まって休めるような、自治体がつくる公衆食堂が必要だと指摘しています。来るべき大災害に有効だと思います。
●1920年の東京市「公営食堂」のいきさつ
実はかつて困窮者対策としての公営食堂が存在しました。1918年の第1次世界大戦後の物価高騰、さらにシベリヤ出兵などによる米騒動がきっかけでした。
1920年、当時の東京市が神楽坂に公営食堂を設置。その後、上野、日本橋、神田など20か所ほどの公営食堂が開設されました。
朝の定食が10銭。昼、夜が15銭。現在の価格にすると10銭は148円、15銭は222円です(Webサイト「日本円消費者物価計算機」)。低価格ですね。
夕食時は1,000人が開店を待っていたという新聞記事もあるようです。多くの人が切実に食べ物を求めていたということです。
1923年には関東大震災もあり、公営食堂の利用者は急増。しかし大震災以降は、民業の圧迫という声や一般食堂との厳しい競争などによって、公営食堂はしだいに閉鎖されていきました。
大災害時、社会が混乱しているときには公営の食堂が必要になります。しかし混乱がはじまってからの設置では遅くなります。また災害時でないときの運営も大切です。つまり平常時にも十分に利用してもらえるようにしなければなりません。
●災害時の食支援。大きな問題は「災害時要配慮者」
大災害が起きた場合、1~2日は大混乱になるはずです。食事もできないかもしれません。しかし人は食べなければ生きられません。
災害時の食支援について書かれている『ストーリーでわかる災害時の食支援Q&A』では以下のようなレポートがあります。
東日本大震災で宮城県山元町の避難所では、地震が発生した3月11日から13日までは行政と避難者ボランティアによって炊き出しが行われ、14日からは自衛隊によって炊き出しがはじまったとのことです。災害時に自衛隊は大きな支えになります。しかし自衛隊の本来の仕事は食支援ではありません。
またライフラインの復旧が食支援に大きく影響します。東京都が想定する首都直下地震では上下水道の復旧は8週間と想定されています。上下水道がなければ、食支援も普通の食事もできません。
東日本大震災をきっかけに被災地での食支援を行う「日本栄養士会災害支援チーム(JDA-DAT)」がつくられました。
JDA-DATでは災害時の食事に配慮が必要な人を「災害時要配慮者(CHECTPチェクトピー)」としています。
多くの人の食事を用意する炊き出しや自衛隊の食事ではこのような人たちへの対応が難しくなります。この対応が災害対策公営食堂の使命になるはずです。
●マーケティングで考える災害対策公営食堂。しかし難問
マーケティングの考え方で、災害対策のための公営食堂の設置について整理してみましょう。
(1)お客さま。まずは災害時要配慮者を優先
顧客です。マーケティングならば一番で考えるべきことです。2022年の東京都防災会議によると首都直下地震での避難者数は299万人と想定されています。すべての人への対応はできません。
顧客は避難生活がはじまったら災害時要配慮者に限定します。ライフラインの復旧とともに余裕ができれば一般の避難者もお客さまになります。
(2)4P。マーケティングミックスで考える
①製品(Product):災害時要配慮者のための特殊栄養食品があります。乳児用のミルク、ベビーフード、咀嚼・嚥下困難食などです。公営食堂の食事の提供はここが中心になるはずです。
②価格(Price):災害救助法では一人あたり1日上限が1,160円です。食費だけでなく燃料費などのすべての費用です。しかも災害発生から7日以内までです。適切かどうかわかりませんが、とりあえずの予算措置はあるということです。
③場所(Place):大きな公園につくるのがいいと思います。みんなが自然に集まるからです。現在、日比谷公園などの大きな公園には民間のレストランも入っています。災害対策とくつろぐ人のためのレストランとは、それぞれ目的が違います。しかし競合の飲食店になってしまいます。
④プロモーション(Promotion):いつも利用してもらえる工夫(プロモーション)が必要です。公営食堂をつくっても日常で利用する人がいなければ、東京市の公営食堂のように消えてしまいます。小中学生向けの災害食づくり体験もいいかもしれません。でも、よろこんで来店してはもらえないでしょう。
(3)店舗の設計。公的投資がなければできない
耐震など災害対策の店舗が必要です。さらに水と電気と大型厨房設備とトイレが必要になります。食料の備蓄も必要です。まさに社会的投資。政府や自治体の予算措置がなければできません。
●まとめとして、3つの問題点の検討
災害対策公営食堂は理想論かもしれません。しかし必要性があります。これまでの阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震の食支援の経験が集まっています。
問題は山積みです。①予算。公営食堂設置の費用を政府や自治体が認めるのか…、②人。自治体が人を配置することは現実的ではありません。委託になります。それで災害発生時に対応ができるのか…、③経営。日常、飲食店として採算のとれる運営をどのようにするのかです。多くの問題解決が必要です。
デザイン思考では、まず小さなプロトタイプ(試作品)でスタートです。そこから改善を重ねるという考え方です。これもひとつの考えです。
これから大災害が起こるのはわかっています。避難生活の起点となる公営食堂を検討しておくべきです。
いつもは「問題解決のアイデアはナイアガラの滝のように出てきます」と広言する当企画室。でも暑さのせいでしょうか、いまのところ「お昼は冷やし中華にしようか」くらいのアイデアしか出てきません。とりあえず冷やし中華食べてからですね。
<参考文献>
藤原辰史『食べること考えること (散文の時間)』共和国 2014
湯澤規子『胃袋の近代―食と人びとの日常史』名古屋大学出版会 2018
須藤紀子、笠岡(坪山)宜代、下浦佳之『ストーリーでわかる災害時の食支援Q&A: ―基礎から給食施設・被災地の対応まで』建帛社 2020
奥田和子『本気で取り組む災害食 個人備蓄のすすめと公助のあり方』同時代社 2016
2023年7月10日掲載 2024年改稿