The marketing for niche restaurants

ニッチな飲食店の戦略:元祖のメニューをつくる

 ニッチな飲食店のひとつの成功事例が「元祖メニューの店」です。元祖メニューといわれるような新メニューの開発が重要です。
   
 元祖メニューの店は長寿の店になります。行列ができる店も成功した店ですが、長寿の店も成功した店といえます。人間と同じです。健康で長生きが一番。
   
 元祖メニューの開発はとても大変ですが、過去の例をみるといくつかの方法があります。 詳しくは事例もご覧ください。

1.元祖メニューの店は苦労が少ない

 元祖メニューの店には良いことがたくさんあります。

(1)競合店がいない。競争しなくてよい

 新しいメニューをつくり、それが広まると元祖メニューの店として認められます。一度元祖メニューの店になると、ほかの店はマネができません。時間をさかのぼって元祖にはなれないからです。
  
 競合の店がどんなにがんばってもこの地位は奪われません。競合がなければ競争が不要になります。競争に大きなエネルギーを使わなくてすみます。

(2)高い価格の設定ができる

 競争すると最後は価格競争になってしまいます。安売りです。「980円」「いまなら20%引き」「大盛食べ放題」…。価格競争で利益が減ります。やがて店も働く人も疲れてしまいます。
 
 飲食店ビジネスはいつも低価格競争しています。結果、データが示すように日本で一番もうからないビジネスになってしまっています。

 元祖メニューの店として競争がなくなれば利益のでる価格、儲かる価格にできます。

 実際に元祖メニューの店に行ってみるとわかります。元祖のメニューには「価値観のある値段」がついています。ときには「これで、この値段ですか?」と思うこともあるぐらいです。

 そうです。元祖なので他の店とほぼ同じメニューです。しかし元祖メニューの店なら、それでいいのです。元祖という価値があります。

(3)過剰なサービスが不要になる

 元祖メニューの店はイメージも大切です。店が古いままでも味わいになります。なけなしの資金で店を新しくしたり改装したりする必要はありません。

 ていねいな接客も求められません。「汚い店でひどい客あしらい」と非難されないかぎり大丈夫です。お客さまは「元祖メニューの体験」が目的だからです。元祖はほかの店では体験できません。

2.元祖メニューの4つのパターン

 問題は新しいメニューの開発をどうするかです。元祖メニューについては、全国の元祖の店、約50店をていねいに取材した菊池武顕『あのメニューが生まれた店』に詳しく書かれています。
  
 この本で紹介された元祖メニューを分類してみるといくつかパターンがあるのがわかります。

(1)売上向上のための苦心:課題解決型

 売上をとるための新メニュー開発です。売上についての悩みはすべてのビジネスに共通です。お客さまに来ていただかないと売上があがりません。
  
 石狩鍋は、北海道石狩の「金大亭」で明治13年に生まれました。創業の時の看板料理として出されたものです。地元の漁師料理を手本に、鮭だけでなく、当時、北海道で栽培が始まったばかりの西洋野菜のキャベツやタマネギ、さらに白みそや昆布だしなども使った豪華な鍋料理です。

 「なんとかお客さまに来てもらい売上が欲しい」という強い思いが良いアイデアを生むようです。

(2)食材を無駄にしない:食材活用型

 残った食材を無駄にしたくない。安く手に入る食材でなにかできないか。料理づくりで毎日気になることがあるはずです。ここから生まれたのが食材活用型の新メニューです。
  
 明治・大正期には脂っぽいと嫌われていたマグロの大トロ。大正8年ごろ、東京・日本橋の「吉野鮨本店」の握り寿司としてひっそりと目立たないようにスタートしました。「常にアブ(大トロ)を河岸で仕入れると悪いウワサになるから」と。
  
 しかし21世紀の現在は大トロの寿司は握り寿司の最高峰となっています。

(3)お客さまの要望に応える:顧客満足型

 店のお客さまを満足させるために、お客さまの要望に応えるために生まれたメニューもたくさんあります。
  
 「ふぐ料理」は明治時代、毒があることから禁止されていました。ある日、山口県の料理店「春帆楼(しゅんぱんろう)」に時の宰相伊藤博文がやってきました。
 
 ところが時化(しけ)で店には適当な魚がありませんでした。しかたなく公には禁止されているふぐ料理を恐る恐る提供。しかしあまりのおいしさに伊藤自らが命じて、ふぐ料理の禁制を解いたとのことです。

 提供する店とお客さまとの「共創」ともいえます。共創は現代の最先端のビジネス手法でもあります。

(4)次々と新しいメニュー:連続提案型

 飲食店ビジネスで大きな成功をおさめている店は連続して新しいメニューを開発して人気店になっています。
 
 東京・銀座の「煉瓦亭」。明治32年にポークカツレツを考案。その後エビフライ、オムライス、カキフライ、メンチカツなどの現在の「洋食」と言われているメニューを開発しています。 

 赤坂の四川飯店。創業者の陳健民さんは昭和30年代に四川料理を日本人にあうようにアレンジした伝説的人物です。麻婆豆腐、担担麵、エビチリソース、回鍋肉など数々のメニューを開発しました。
    
 渋谷にあるスパゲッティ専門店「壁の穴」。ミートソースかナポリタンしかなかった昭和38年に革新的な新メニュー、たらこスパゲッティをだして大ヒット。さらにイカ、ウニ、納豆、アサリ、海苔など日本の食材を使った新メニューを連続的に開発して「和風のパスタ」のジャンルを確立しました。

まとめ。新しいメニューはいつの時代も提案の決定打
   
コンビニでは毎週100品目の新商品が導入されているそうです。新商品導入がすべていいとは言いません。しかし新しい提案はお客さまに喜ばれるはずです。
  
いつも新メニューを考えること。ニッチな飲食店ばかりではなく、どんな飲食店でも重要な売上げアップの施策です。

新メニューで元祖メニューの店となれば、利益の出る飲食店ビジネスになります。「ニッチな飲食店」ひとつの理想です。こうなると飲食店ビジネスとしての成功はほぼ間違いありません。

<参考文献>
菊池武顕 『あのメニューが生まれた店』平凡社  2013
『中小企業白書2016』中小企業庁 2016

2024年7月23日掲載

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